日誌

管理者の日誌

日誌について

自分には、毎日、日誌に綴るだけの熟した中身は無いようです。
こんご、週に数回、月に数回、年に数回の、週誌・月誌・年誌になろうかと思います。
このサイトにご訪問していただている皆様方におかれましても、掲示板などに、今の心境・思いなどを書いていただくなど、このサイトをご活用いただければ。と思う次第です。
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何をしようとしているのか

死んで見えなくなった息子の姿を、決して捜すのを諦めようとはせずに、亡くなった息子のいのちの存在を捜し当てる作業を行い続けます。

「自死遺族の癒しとナラティヴ・アプローチ」の私流のよみとりかたは、

癒しのために、「自らを納得させようとするストーリーの生成」を描くことが必要で、そのための補助線として下記3つがある。

1.癒しの会
2.シャーマンの世界へのアプローチ
3.夢の世界へのアプローチ

私がやろうとしていることは、2番目のシャーマンの世界へのアプローチに力点を置き、「自らを納得させようとするストーリーの生成」を描くことになると思います。
そのため、私にとり、「自らを納得させようとするストーリーの生成」には、シャーマンの世界の解明・実感が必須となるため、今後、客観的事実に基づいたシャーマンの世界の解明の記載がおおくなると思います。
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「自死遺族の癒しとナラティヴ・アプローチ」の粗読メモ その2

「自死遺族の癒しとナラティヴ・アプローチ」の総合考察・終章を粗読しました。
しかしながら、吉野淳一先生が心血注いで書かれた論文に対し、粗読レベルでの感想を記載するのは礼を失すると思い、精読後、改めて感想を記載致します。

武本昌三元教授が行った作業、それに同感し、同様に私が行おうとしている作業

『 「愛する家族のいのちを失ったのであれば、そのいのちを、 取り戻せばよい。 それしか、絶望と悲嘆から逃れるすべはない。
 ・・・・・
 いままで一緒にいたわが子が急に迷子になったら、 母親や父親はどうするか。 必死になって捜すであろう。 千里はおろか、
 万里の道を歩きまわっても、 捜しつづけるであろう。 決して捜すのを諦めようとはしないであろう。 「死んで」姿が見えなくなった場合も、同じである。なぜ諦めねばならないのか。 ・・・」
「救われたい一心で、迷信にすがるのは論外である。」との信念のもと、決して捜すのを諦めようとはせず、客観的事実の積み重ねだけをたよりに、亡くなった息子のいのちの存在を捜し当て、それを実感していく』

「自死遺族の癒しとナラティヴ・アプローチ」を読むことにより、上記作業の、臨床心理学上の位置づけを理解できた気がしています。
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「自死遺族の癒しとナラティヴ・アプローチ」の粗読メモ その1

「自死遺族の癒しとナラティヴ・アプローチ」吉野淳一著 の粗読をしました。
(今日のところは時間切れで、総合考察・終章のぺージは読み残しています)

以下、断片的なメモです。

・正統派の臨床心理学者の論文であり、一般人にとっては部分的には固く、読みづらいところがあるのは仕方がないのだろう。

・本書を貫く「社会構成主義・ナラティブアプローチ」の概念の理解は、いましばらく時間を要します。

・「癒しの会」(自死遺族の集まり)の意義は、同じ環境にある方々の集団に入ることにより、集団の中での自分の位置を感得でき、
 そのことが、心理的安定感をもたらすように思いました。 

・「自らを納得させようとするストーリーの生成」によりその遺族の心が安定し、次に生きる力を得る(※青字は管理人の追加箇所)。
 との主張は同感でした。

・「自らを納得させようとするストーリーの生成」の文脈でのシャーマンの取り扱いも同感です。
 シャーマンの媒介により、死後世界にいる亡くなった方と対話が成立し、死後世界にいる亡くなった方と関係を継続していける実感を
 持つことはまさに、「自らを納得させようとするストーリーの生成」になると思います。
 (遺族の方で希望される方は、有能なシャーマンとの対面をどしどし行える仕組みがあってもいいのではないか。とも思われました。)
   ※信頼がおける有能なシャーマンをさがすにはどうしたらいいものなのでしょうか。

・「自らを納得させようとするストーリーの生成」の文脈での「夢」の取り扱いを興味をもって読みました。

   社会構成主義でいうところの新たな「現実」を創造する。
   自死者との関係を再び蘇らせる。
   死によってメンバーシップ(家族の成員)が解消される必要はない。
   夢は貴重な再開の空間・思いを直接にぶつけられる空間。

 ※ある著書によると、夢は、幽体離脱して異界にいる状態という説もあるみたいで、もし、それが本当だとしたら、まさに、夢の中では、
  自死者との関係を再び蘇らせ、死によってメンバーシップ(家族の成員)が解消されていない状態を実感できていることになるのかも
  しれません。
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今日の一日

会社までの通勤途中は亡くなった息子のことで気持ちが一杯です。
会社で仕事を始めると、仕事へきもちが向きます。
仕事が終わり、帰宅途中は、また、息子のことで気持ちが一杯になります。
くるしかったんだろうな、さみしかったんだろうな、きがついてやれなくて、ごめんな、と涙ぐんでしまいます。
でも、最後は「もういっかい、いっしょにかぞくをやろうな。はやくうまれかわってこい!こんどこそ、一千億倍幸せにしてやるからな」と、涙をおわらせています。
こんな繰り返しが毎日つづいています。

仕事があり、外へ出るので、気分が転換できます。
仕事が無いと、自宅から出ずに、一日中、息子のことで気持ちが一杯になり、自分自身が危うい状態に陥りそうです。

少なくとも半日は、外出して、人混みにまぎれ、気分転換することは大事なことだと思っています。
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